およそ商品という名のつくものであれば、みんなが憧れる「定番」「ロングセラー」の話です。激しい競争を勝ち抜いて見事不動のポジションを勝ち取ったモノと、儚く消えていったモノとの間の違いはいったいどこにあるのでしょうか。
大丈夫か!妖怪ウォッチ
定番でアニメといえば、「ドラえもん」や「サザエさん」「ちびまる子ちゃん」「アンパンマン」などが安定飛行を続けています。キャラ構成やストーリー展開に奇抜さはなく、いわゆる「いつものパターン」で安心した笑いを何十年もお茶の間に届けているということになりますね。
海外にも目を向ければディズニーも該当しますし、スーパーマンやバットマン、アイアンマンなどもコミックのヒーローとしては息の長い活躍を続けています。
一方で、今一番、不安になるのは「妖怪ウオッチ」。あの爆発的なブームはどこへやら、Googleトレンドでみても2014年8月をピークに2014年12月以降、明らかに人気が失速しています。ひところは「妖怪ウオッチはポケモンを超えた!」とも騒がれたりもしましたが、ショッピングセンターでワゴンセールにかけられているのはどうみてもジバニャンの方が比率が高いです。
あの零式騒動はどこへ
マーケティングにおけるミクロ視点の商品サイクル論からでみれば、
- 導入期
- 成長期
- 成熟期
- 衰退期
という4局面が需要量に応じて存在するとされ、成長期から成熟期にかけてどどんと人気が爆発↑、品薄状態になるわけなのですが、定番になれるかどうかは、この成熟期の辺りが「壁」となって、定番化を拒むことも多いように思えます。
このサイクル論にはもちろん環境の変化は組み込まれていませんので、携帯電話のように、1960年代の自動車電話のころから、何度も何度も消えそうになりながらも、その都度技術革新を経て市場を拡大して、2007年ごろから今に続くスマホにいたるようなケースもあると思います。
ただ、現状での妖怪ウオッチは成熟期を過ぎ、衰退期に向かっている匂いがプンプンしてきます。USAピョンでテコ入れを図ってはいるようですが、「DX妖怪ウォッチタイプ零式」の品薄が続き、定価の二倍三倍の値段で取引されていたころのような熱はもはや感じられません。
飽きちゃうんだよね
なぜにこうも残酷なほど「定番&ロングセラー」組と「そうじゃない」組に分かれてしまうのでしょうか。サイクル論の壁を超えて次なる成長へ向かうことは運、あるいは神様の悪戯によってしか左右されないものなのでしょうか。
考える答えの一つとしては、飽和度が考えられます。簡単にいえば「飽きちゃう」ということですね。いくらおいしいといっても来る日も来る日も三食マクドナルドのハンバーガーばかりではいずれオエッとなります。また、飽きるということは病みつきになるという常習性や希求性が潜むわけですから、それ相応に刺激が強く、「買いたい」「見たい」「手にしたい」という欲望煽ってくるモノが該当すると思われます。
ですが、刺激が強いものは反動も強く、一度ネガティブに針が振れると愛憎劇が展開されてしまいかねませんよね。みなさんも薄々感じていらっしゃることかとも思いますが、芸能人同士で付き合いだしたカップルが電波で流すほどの熱々ぶりだったのがさっくり破局なんてのも、同じ構造じゃないかと、要はToo Much 「くっつき過ぎ」「摂り過ぎ」「食べ過ぎ」なのではないかと。
ご飯とみそ汁になる!
では、逆に定番、ロングセラー組に「飽き」はこなかったのかというと、決してそうではないとも思います。短期のミクロサイクルの中ではいったん成熟し、衰退まで行ってから、もう一度中長期的に巻き返してきたと考えるのが良いアプローチではないでしょうか。
ここでのキーワードは「習慣化されたかどうか」「ポジションを確立したか」にあります。刺激を求めて手を出した流行モノではなく、安全安心安定を求めて手を伸ばしたですね。心の向きがまるで逆なのに注目です。妖怪ウオッチは「行列のできる旨辛担々麺」みたいなものですが、ドラえもんやサザエさんはもうご飯、みそ汁の域に達している、そんな気がするのです。
たとえば8.6秒バズーカの新ネタは今出しても相当なレベルに達しない限り「つまらん」と叩かれるでしょう。逆にもうダチョウ倶楽部や出川哲朗、柳沢慎吾、江頭2:50などの安定各氏に奇抜さを求めるファンは少ないハズです。筆者はこの辺りの新旧の隙を突くのが得意で、「ゲッツ」や「ララライ」といったよくネタを使っていたのですが、テレビ番組で「ちょい古芸人」や「一発屋総選挙」などの企画が生まれてしまい、いまは封印しています。
最終的には独占・寡占でウハウハ
結局、定番&ロングセラーに向けた道程として、最初は一発屋から始まるという例は少なくありません。一発屋という突出したポジションではなく、類似したサービス、商品の中から残っていくモノも最初は「はやりもの」として世の中に現れるのが少なくないものです(業界側からの仕掛けから始まるにしても)。
今や当たり前の定番ツールとなった「LINE」も登場当初はスカイプやVIBER、カカオトークなどの類似したサービスの中のひとつに過ぎませんでした。しかも情報管理の狡猾さや甘さなどの逆風を経てなおシェアを伸ばし、すっかり生活に深く根ざしたインフラ的ツールとして見事、習慣化が進んでいます。
「LINEしてね」などと、ひとつのサービスや商品の呼称が業界を代表するほどまで浸透が進めば、もはやシェアとしては独占・寡占状態で「定番&ロングセラーウハウハ」というの道が開けてきます。短期の商品サイクルの壁を超えて、中長期的に安定飛行体制に入れば、おいしいおいしいマーケットになるのですから、マーケティングとしてはとても魅力的な展開でしょう。
現在は多様化、個性化が進んで、いわゆる「マス=大衆」という存在がなくなりつつあると言われてはいますが、日々じんわりと新たに生まれてくる「定番&ロングセラー」のアイテムたちがあるのですから、ただ、マスという楽ちんチャンネルが消えつつあるというだけのこと。人間が生命活動を続ける限り「欲しい」「知りたい」「見たい」という欲求にさえ合致していけば、まだまだ可能性が広がる世界かな、とも思います。