昔から「男42(しに)、女(さんざん)」と呼ばれる「厄年」なるものがありますが、本厄へと日々近付いていくアラフォー筆者なので、敏感耳になってきています。
10、20代の頃は、縁起モノや厄など、まるで無視できるエネルギーとパワーがありましたが、中年街道をじわじわと老年へ進んでいく身です。「あ、いわれてみれば、ちょっと背中が、腰が、目が、肩が」と自覚できる諸症状に少し怯えもあったりします。
80歳でエベレストに登頂した三浦雄一郎さんから見れば「40歳など、まだまだヒヨッ子」なのかもしれませんが、自分が80歳になったとき、エベレストに上れる気力や体力、筋力があるかと尋ねられれば、まるで自信がありません。
体鍛えればいいじゃんよ → ぐぬぬ
最近では、筆者の周りにもジョギングやウォーキングに勤しむ方が非常に増えて、運動不足でたるんだ体は恥ずかしくもあります。「走ればいいじゃん」「歩けばいいじゃん」「鍛えればいいじゃん」とみなさんは引き締まった体に白い歯を輝かせ、とても素敵に勧めてくれるのですが、「いいね」という賛同とやる気はあっても、実際に身体を動かすところまではなかなか行きません。
「機会があればやってみるよ」「涼しくなったら挑戦するわ」。あぁ、また、いつもの先送りです。ダイエットや勉強とかもそうですが、この手の「いつかやる」系の言い訳って、永遠にやってこない「いつか」なんですよね…。
まとめてやれば取り返せる? → 間違い
筆者運営の姉妹ブログ「禁煙を成功させる超ヒント集」でも、何度か触れてはいるのですが、人間は変化するのが面倒で、怖がって、なるべく先延ばしにしたがる性質があるので、「今のままで、楽しく生きられる方法はないかな」という言い訳探しがとても上手です。
ケリー・マクゴニガルさんの著書スタンフォードの自分を変える教室にもありましたが、人間は「やればできる」「本気出せばすごいんだ」などと、いろんな言い訳をして「自分ならば、まとめてやれば取り返せる」という根拠のない自信を自己暗示のように信じこんでしまうという発想をしてしまいがちです。
この発想でも、確かに10代、20代の頃であれば、自堕落な生活でも「残りの人生」で帳尻合わせをできる余裕もありますが、アラフォーの域に達してくると、人生の肉体的ピークはとっく超えてますし、そろそろ人生の折り返しですから、これからは若い頃に先延ばしにしてきた「さまざまなツケ」を「病気」や「地位」「生きがい」「資産」「家族」「友だち」などという形で支払って行かなくてはならない状況に追い込まれてきています。
こうして考えると、冒頭で触れた「厄年」は、いわゆる節目節目の「肉体的、精神的な『ツケ払い』の時期ですよ」という警告でもあり、そろそろ「老い」「死」「別れ」というものもちょっとは意識してくださいね、という先人たちからの心のこもったアドバイスと取ることもできます。
人間、今が一番若いんだから!
昔、永六輔さんがラジオ番組で叫んでいて、当時は「うーん?」ぐらいに感じていたのですが、今ならすんなり聞くことができます。番組タイトルは忘れちゃいましたが、あのオネェっぽい口調で「もうね、40歳超えると、だいたいあと40回ぐらいしか四季を楽しめないの。50なら30回ぐらい」と仰っていていました。
子ども心には確か、その後に続いた「小4の夏、小5の夏、小6の夏って、毎年、夏がくると思ってるでしょ?」「でも、その歳の夏は1度だけ。もう2度こない。終わり」みたいなことを指摘されて、ドキリとした記憶があります。
「今が一番若い」。確かにそうですよね。「今でしょ」先生ではありませんが「今やらないでいつやるのか」というのは、耳に痛い言葉です。生命は生まれた時から死に向かっているのですから、いかに「納得できる死」を迎えることができるかというためにも、スガシカオさんの「Progress(プログレス)」の歌詞よろしく、毎日「あと一歩だけ 前に進もう」と思います。